1/羽鳥英里紗と香取周子

(カリンカプラン春物語 第二章「ある吸血鬼の一日」より)

 


     1/羽鳥英里紗と香取周子

 私は、人でなしだ。

 具体的にいうと、真昼間から授業にも出ずにだらだらと散歩していることに何の罪悪感も抱いていないあたり、とても人でなしだと思う。思うのだけれど、こうも天気が良いのだから仕方がない。春の陽気とはこういうものなのだろう。日光は苦手なので日傘を差してはいるけれど、それでも空気そのものは心地いい。
 頭上には青空。
 四方を高い塀で囲われた学園において、景色といえば空を指す。さして広くもない学園の敷地にあるものは見飽きてしまったし、空くらいしか見るものがないのだ。何の変わりもないような空も、季節や時間、気温や湿度で微妙に変化があることを、私はこの学園に放り込まれて始めて知った。
 それまでは、悠長に空を見上げることなんて、できやしなかったから。
「ああ――いい天気」
 そんな当たり前のことを呟きつつ、向かう先は中央校舎だ。南にいけば私たちの学寮があるし、東西には研究棟と治療棟がある。娯楽施設の類はない。学園にして病院。それがここの在り方なのだから。
 しいていえば、北のはずれにある小さな教会が、娯楽施設と言えなくもないかもしれないけれど。
「商店街とは言わないまでも、飲食店くらいはあっても良いのに」
 学園に対して不満があるとすれば、それくらいだ。食事は一日三回、決まった時間にとらなければならない。学寮の食堂と、中央校舎の食堂。時間も量も管理されているから、好き放題食べるということはできない。
 授業は無断欠席しても問題ないのに、食事の管理はしっかりしているあたり、学園よりも病院としての色が強いのだろう。
 仕方がない。
 何せ、私たちは病人なのだ。
『悪魔憑き』の、病人。
 人でなしの病。
「人でないのに病人だなんて、笑えないジョークね」
 中央校舎の正門脇、カードスリットに学生証を通す。どこへ移動するにも何をするにも学生証が必要なのは、正直面倒くさい。食事を受け取るときどころか、お手洗いの扉にまでカードスリットがついているのは、驚くのを通りこして呆れてしまった。
 学園の中ではどんなことをしてもいいけれど、行動は全て管理されている。学生証で開かない扉は、塀の外へと通じる扉くらいだ。なぜなら、そもそもそんな扉がないから。
 自由のようで、不自由極まりない、そんな自由。
 私たちに与えられたものは、その程度のものだった。
「食事を自由にする権利くらい、くれてもいいのに」
 不満を呟きつつ、中へ。あちこちに設置された監視カメラ越しに、学園の偉い人に伝わってくれることを祈るばかりだった。
 校舎は静かだった。
 授業中だから、というだけではない。そもそもからして、生徒の数はそんなに多くない。悪魔憑きを収容する学園はここだけではない。いったいどれだけ悪魔憑きを発症した子供がいるのかわからないけれど、一個所に集めるのはいかにも問題がありそうだった。
 思春期心因性大脳基底核失調症。
 通称『悪魔憑き』。
 世界を正しく認識できず、感情を正しく発露できず、他人と正しく関係性を築けない少女たち。他人と共有できない歪んだ世界を抱き、歪みにあわせてついには自分自身の身体まで作り変えてしまう病人。歪つにねじくれた身体と、それ以上に歪んでしまった心を持つ、人でなしの私たち。
 根本的な治療法は見つかっていない。
 だから私たちは、檻の中の実験動物とさして変わらない。教室の中も、廊下も、等しく檻の中でしかない。授業を受けていようと受けていまいと、そんなことに違いはない。
 なのにどうして彼女は真面目なのだろう――廊下を歩きながら教室を覗くと、そんなことを考えてしまう。
「――――――」
 天使がそこにいる。
 あるいは、天使のような少女が。
 学寮のルームメイト。悪魔憑きの、十アリア。教室の中だというのに、デフォルメされた天使の羽根めいたカバーを背負っている。その中に、本当に翼があることを、私たちは皆知っている。
 悪魔憑きの病は、人体に必要のない余分を増やすのだから。
 教室の椅子は、半分程しか埋まっていない。アリアは、一番前の席に座って、真面目に授業を受けている。板書の手を抜こうともしない。私の知る限り、体調不良以外で授業を欠席したことは一度としてない。
 あの子は真面目ね、と。
 揶揄するように思ってしまうのは、私が不真面目で、人でなしだからだろうか。
 決して嫌いではない。その真面目さは私がもちえないもので、同時に私に害なすものでもないからだ。
 理解できないというだけで。
「――あ。」
 そして、ルームメイトの不真面目な方が、廊下を歩いている私に気づいた。学寮の三人部屋の、最後の一人。目を拘束具でぐるぐる巻き封じられた彼女――香取周子は、こっそりと教室を抜けだしてきた。
 目が見えないのに、器用なことだった。
 そもそもよく見えてもいないのに、どうやってこちらに気づくのだろう。
 答えは簡単だ。どうやってかして気づいている。
 細かい理屈なんてわからない。彼女はそういう病気であり、そういう技能を所有するというだけ。
『悪魔憑き』の症状は、基本的には公開されない。外見や行動から推測するか、自ら語らない限りは知り得ない。もっとも、本質的な患部は目に見えない心にこそあるので、推測するだけ無駄ではない。
 くすっと、自分の思考に笑ってしまう。
 心、だなんて。
 そんなあるのかどうかもわからないものが、病気だなんて。
 神様が病んでいると言っているようなものだった。
「きゅーちゃん! きゅーちゃんだ! 重役出勤?」
 どこで覚えた言葉だか知らないけれど、それは違う。私の周囲を小動物のようにくるくると回る周子に首を振り、
「違うわ。出勤しないもの。私はお昼をとりにきただけ」
「早弁だねっ!」
「お弁当を支給してくれるのなら、ここまで足を運ばなくていいのに」
「きゅーちゃんはお弁当作れる? しゅーこは全然駄目でねー、前の実習ではえんちゃんにかわってもらったの」
 くるくるくるくる回りながら話しかけてくる鬱陶しい小動物。周子のあり方を一言で表すなら、構ってもらいたがりだ。懐かれているのは良いけれど、若干煩わしくもある。
 私は教室の方を指し示して、 
「サボりはよくないわよ。教室に戻りなさい」
「あ、自分のこと棚上げにしてる!」
「私はよくない人間だからいいのよ」
「悪魔みたいだ」
「悪魔だったら、もう人間じゃないわね。人でなしだわ」
 私は笑う。何がおかしいのかわからないのか、周子は首を傾げていたけれど、結局教室に戻ることなく私の横に並んだ。周子は真面目ではない。私みたいに、最初から欠席するほど不真面目でもないけれど。
 良い子悪い子普通の子。ルームメイトのバランスは、中々良いのかもしれない。
 途中退席に対し、先生が何かを言ってくることはない。これくらいのことで咎められたりはしない。
 ここは学園であり、病院でもあるけれど。
 監獄でもあり、墓場でもある。
 卒業後、という未来は、私たちには存在しない。
 生きて外に出られない。
 そんな中で果たして、真面目でいることに意味があるのだろうか。そんなことを、アリアの在り方に思ってしまう。
 ……意味のない行為。
 アリアが、意味を求めているのかは、わからないけれど。
「そういえば、きゅーちゃんは噂聞いた?」
「どの?」
 噂なんてありふれている。
 娯楽施設のない学園においては、話すことくらいしかやることがないからだ。
 周子の言う噂は、とびっきり悪趣味で、かつ大昔からありふれているような噂話だった。
「病気が治ったら、外に出られるって話。この前いなくなったあーちゃんとらんちゃんは、病気が治ったからだって」
「――馬鹿馬鹿しい」
 周子の噂を、ばっさりと切り捨てる。
 そんなものは、ただの噂だ。
 病気は治らない。ここは病院ではあるものの、治療を目的としていない。症状を抑えること、原因を研究することが目的であっても、根本的な治療というのは不可能だ。
 確かに、周子の言うように、誰かが突然いなくなることはある。ルームメイトがいなくなってしまって、他の部屋と統合されることもある。転入生がくるまで、独りきりで過ごすこともある。
 けれど、どうせ死んだだけだろう。
 長生きできるような身体ではないし、
 長生きできるような心でもないのだから。
「だいたい治るような病気なら、もっと真面目に治療しているわよ。せいぜい投薬くらいで、外科手術もしないじゃない」
「痛いのはイヤだなぁ……」
「目に針を射すのは痛そうね」
 ひ、と小さな悲鳴を周子は零して、慌てて拘束具越しに瞳を手で押さえた。彼女の患部は瞳なので、切り開かれるとしたらそこだろう。
 けれどそれは、ただの噂だ。
 誰も彼もが当たり前のようにいなくなるから、根拠のない噂話は幾つも幾つも再生産される。曰く、ある日学園長から手紙が届いたものは最後の試練に挑むことになり、試練に打ち勝てば病気が治るが負ければ死ぬ。曰く、いなくなった子は解剖されて売られていく。曰く、いなくなった子はすり潰されて毎日呑んでいる薬の材料になる。曰く、病気には第三段階があり、いなくなった子たちは今も地下深くで隔離されて生きているのだと――
 根も葉もないただの噂話だ。
 噂話が真実だったとしても、何も変わりはしないけれど。
 瞳を抑えていた周子は、私の方を拘束具越しに見つめて、
「きゅーちゃんは、外に出たくないの?」
「外も内も、大して変わらないもの」
「そうなの?」
「ええ。食べるものがあって、生きていること。重要なのは、それだけでしょう?」
 強がりではない。
 それは、嘘偽りない私の本音だ。私にとって大事なのは生きることで、生きるために大事なのは食べることだ。管理されているとはいえ、ここではそれが満たされている。
 穏やかで平和な世界。
 囲われているということは、安全だということでもある。
 外に出られないけれど、外から脅威がやってきもしない。脅かされることがない。他人とのふれあいはとても限定的だけれど、だからこそ気を回す必要もない。食事は保証されている。睡眠をとることもできる。どこにも不満はない。
 たとえどこにもいけないのだとしても。
 むむむ、と周子は唸って、
「そーかなー、そうじゃないかもなー。生きてるって、生きてるだけじゃないと思うんだけどなー。えんちゃんも、ちょっと違うみたいだし?」
「それは価値観の相違ね」
 全否定しなかったのは、僅かにでも思うところがあったからだ。
 生きているだけだと、あっさり死ぬ。他人に喰い物にされる。生きるということは、生存競争だからだ。
 だから、私は誓ったのだ。
 他人に食べられるのではなく、
 他人を食べてでも生きようと。
 生きるために、強者の側にまわろうと、誓ったのだ。
 ……その誓いからすると、今の生活は堕落していると言えなくもないのだけれど。
 保証された平和。管理された食事。穏やかな寝床。
 それはまるで、生産管理され、培養された動物のよう。檻の中の動物か、さもなければフォアグラのように人の手で太らされる生き物のようだ。
 そのことに危機感を覚えても、どうしようもないけれど。
 一度放り込まれた悪魔憑きは、病気が治るまで外には出られないのだから。事実上、死ぬまで軟禁されるのと変わりがない。
 どうしようもない。
 それが私の出した答えだ。
 でも、周子の答えは違うのかもしれない。若干の興味と共に、私は訊ねる。
「貴方にとって、生きることは?」
「人と仲良くなることかな?」
 はっと笑ってしまう。
「あ、やな笑い方した!」
「見えてないのに、よくわかるわね」
「見えてなくても、わかるの」
 そう、と頷いて、私はもう一度笑う。
 さっきまでのと違う、満面の笑みを浮かべて、周子へと言う。
「別に私は貴方と仲良くなくてもいいもの」
「うわぁ」
 引きますわそれ、という感じの声だった。
 ここまで邪険に扱っているのに逃げないのが、私としては不思議だったけれど。たった今言われたことを特に気にした様子もなく、
「それで、さっきの噂話には続きがあるんだけど」
「病気が治ったらどうこうっていう? どうやったら治るのよ」
「それがね、教会で懺悔したら赦されて罪が消えてなくなるんだって」
「――ふ、」
 今度こそ、私は自然と笑ってしまう。
 そんな夢みたいなことを誰が言ったのか、わかったからだ。
 教室で真面目に授業を受けているルームメイトのことを思い浮かべながら、私は言うのだった。
「あそこは懺悔をするような場所じゃないわ。もっとろくでもない場所よ」