2/羽鳥周子と香取英里紗


「目と目があれば、想いって伝わるんだって、しゅーこ思うの」
「貴方、目が見えないじゃない」
 ばっさりと切って捨てるように言ったのは吸血鬼だ。吸血鬼のきゅーちゃん。自分の患部を勘違いしている可哀想な子。周子たち三人の中では一番まともなのかもしれないけれど、同時に一番危険かもしれない子。少なくとも拘束具をつけられている今、まともに吸血鬼とやりあったら周子もただではすまない。それくらいに、吸血鬼は人を襲うことに特化している。誰かを襲い、誰から血と命を奪い、誰かを食べることで生き伸びる悪魔憑き。
 なのに吸血鬼は、今日も学寮で美味しそうに夕御飯を食べている。周子のそれよりもかなり多い。学寮に住まう学生数はそんなに多くないので、一人一人でわざわざ分量や味付けが調整されているのだ。
 もっとも調整されているのはそれだけではなくて、他に何が入っているかわからないというか、はっきりと言ってしまえばお薬でも入っているのだろうけれど、だからといって拒むことはできない。食べなければ死んでしまうし、投薬はいまに始まったことではない。
 治療というよりは、コントロールするための薬。あるいは実験。学園中に仕掛けられた監視カメラとカードスリットと同じくらいに、薬が溢れかえっている。ときどき教職員がぼりぼりと薬を食べていることがあるけれど、あれは栄養剤だと思いこむことにした。
 終わっているよね、皆。
「目が見えなくても、伝わるものはあるっていうかぁ……」
「さっきと言っていることが違うじゃない」
 ばっさりと再び切り捨てられた。
 学寮の食堂には、ほとんど人の姿はいない。ルームメイトの天使はすでに部屋に戻っている。あの子はほとんど食べないから、たまにふらふらと倒れてしまう。生きることへの積極性が足りていないのだ。病気の深度も不安定で、ひょっとしたらそろそろ悪化して処分されるかもしれない。周子とどっちが早いかな、とぼんやり考えてるくらいには。
 この学園は、変わらないけれど。
 変わらないということは、ゆっくりと朽ちてゆくということだ。
 ゆっくりと、ゆっくりと。
 沈むように、朽ちてゆく。
「つまり何が言いたいかと言うと、きゅーちゃんがしゅーこのおかずを欲しがっていることは明白なのでした。はいあげる」
「欲しがってなんか……! ……そりゃあ、くれるなら、貰いますけど?」
 怒って腰を浮かせかけた吸血鬼は、周子が差し出したおかずを受け取ると、しずしずと座り直した。顔がちょっと赤い。
 目が見えない周子は、それ以外の何もかもを使って周囲を把握する。その中でも、吸血鬼はかなりわかりやすい方だ。感情豊かといってもいい。もしも衝動さえなければ、外で暮らしていけたのかもしれない。
 そんなことは、無理だけれど。
 衝動があるから。
 堪え切れないから。
 世界と折り合いがつけられないから。
 周子たちはこの学園に放り込まれたのだから。
 それは吸血鬼も同じことだ。彼女は確かに周子のおかずを欲しがっていたけれど、それ以上に周子のことを欲しがっていた。山もりのご飯では足りないらしい。人間を襲って血を吸わないと本能は満たされないのかもしれない。
 吸ったところで、満たされはしないんだろうけれど。
 満たされないから、また吸いたくなるんだろうけれど。

 ――吸血鬼は、周子の血を、ほとんど吸わない。

 そのことが周子は少し気に食わない。吸血鬼は天使に比べて、周子のことをちゃんと構ってくれる。口は悪いし、扱いは雑だけれど、周子を一人の人間としてちゃんと向き合ってくれる。天使に比べると、まだ人間味がある。
 だからこそ。
 吸血鬼は周子の血を吸わないのかもしれない。無色透明な天使の血をたまに吸うだけで、周子のどろっどろに濁った血を吸おうとしないのは、きっと恐れているからなのだろう。
 血を吸って、混ざることを。
 吸血鬼は、血を吸わなければ死んでしまうのではなく。
 他人から命を奪わなければ我慢できないという、そういう病だ。でもそれは周子みたいな欲しがりとは違う。周子の感じる吸血鬼は、とても臆病で、怖がりだという、ただそれだけなのだ。
 世界が怖いから、世界を奪う。
 他人が怖いから、他人を奪う。
 奪われる前に、奪ってしまう。
 その在り方はなんだかとっても微笑ましくて、周子は吸血鬼のことがお気に入りだった。周子に対して乱暴な口を聞いても許せるくらいに。あまりにも傷口が見え見えだから、かえって逆に抉らずに放っておいてあげようって思えるくらいに、吸血鬼の在り方は素直だった。
「ね? 目と目があわなくても、想いは伝わる! しゅーこちゃんかっしこーい!」
「頭から出る電波を眼球から受信してるってどういう仕組みよ。それなら貴方、あの子の考えてることもわかるんでしょうね」
 ちらりと吸血鬼は横を見る。食堂の反対側には、独りぼっちでご飯を食べているクラスメイトがいる。去年、ルームメイトを二人失った子だ。彼女は虚空に向かって、『ゆんゆんゆんゆんゆんゆん』と呟き続けているらしい。
 電波を発して通信しようとしているというもっぱらの噂だ。誰も真偽を確かめたことはない。教職員は危険度が低い子の個人情報は話さないし、本人とはまともに会話が成り立たないからだ。
「しゅーこの感じる限り、本気でやってるっぽくはあるんですけどねー」
 ゆんゆんゆんゆんと呟き続ける子から感じるのは、嘘偽りのない熱心さだ。嘘をついていれば、周子にはわかる。そういう風に周子はできている。
 だから彼女は自分自身に嘘をついていない。本気で電波がどこかの誰かに届くと信じて発信し続けている。それがどういう内容で、どこの誰にあてたものかまではわからないけれど。
 祈るような行為。
 神様にでも、届けようとしているのだろうか?
 電波が届く距離に、神様はいるのだろうか?
 こちら神様です。おかけになった番号は圏外にいるか電源が切られているため届きません――なんて、無碍に断られる気がするけれど。
 少なくとも、ここの教会には、神様はいない。
 あそこはもっと、ろくでもないところなのだから。
「電波といえば、教会のあの子もこの前電波でお話ししてたわよ。誰もいない教会で延々と独り言を発していたもの」
「神様とお話ししてたのかもよー? きゅーちゃんきゅーちゃん、きゅーちゃんは神様にあったことってある?」
「私、神様なんて信じてないのよ。アリアの熱心さは認めるけれど、教会へは遊びにいってるだけだもの」
 苦笑する吸血鬼にあわせて、周子も明るく朗らかな笑みを浮かべる。でも内心では例の探偵に対して毒づいていた。
 うかつなことをやってる。
 でもたぶんそれはうかつなミスではなくてわざと見せた可能性の方が高い。探偵とはそういうやつだ。話している言葉はほとんど全部が嘘で、たまにほんの少しだけ真実を混ぜている。あるいはその逆。噂話で周子たちをコントロールする彼女は、あきらかに特別な立ち位置にいる。だからその独り言も独り言なんかじゃない可能性の方が高くて、だとするとそれをわざわざ吸血鬼に対して聞かせた可能性が高くて、じゃあどうしてそんなことをしたのかと考えると苛々してきて我慢がならない。
 周子は言う。
「しゅーこ、ちょっと出かけてくるっ! きゅーちゃん、あとは食べててもいいよ?」
「夜遊びはほどほどにしなさいね」
 苦笑しながらも、吸血鬼は周子の残したご飯に手を伸ばす。そういうところが、周子は好きなのだ。