3/十アリアと教会

  (「カリンカプラン 春物語」 第一章『ある天使の一日』より

 


 教会は、学園の端に、ひっそりと建っています。あまりにも敷地の端にあるので、教会のすぐ裏手には高くそびえたつ壁が圧迫感と共に存在しています。
 用がなければ壁に近づかないよう指示されているので、ここまで壁に近寄るのは、教会にいくときだけです。
 教会。
 それが果たして、どういう神様を祭っているところなのか、わたしにはよくわかりません。聖書を読んで育ちましたが、それしか読むものがなかったというだけで、わたしはあまり詳しくないのです。
 ただ、ここが祈りをするための場所、というのは知っています。わたしにはそれで十分なのです。祈りが必要なことは、知っていますから。
 わたしたちは、罪を背負って生きているから。
 神様に祈りを捧げなければいけないのです。
 そのために、教会はあるのです。

「英里紗さんは、教会ではなくあんなものは廃墟よ、なんて言ってましたけれど……立派な教会ですよね……」

 確かに、少し古くて、校舎よりは小さいですが、教会は教会です。壁に蔦がはっていて、扉を開けるとやけにきしむ音がしても、そこが教会であることには変わりないのです。
 祈るための場所。
 わたしは教会の扉を開けて、中に入ります。重々しい音と共に扉が閉まり、外で吹いていた風の音が遠ざかりました。
 中は、小ぢんまりとした教会です。突きあたりには十字架と祭壇があり、入口との間には申し訳程度の長椅子が置かれています。天井から吊るされたシャンデリアは一つきりですが、今は灯されていませんでした。窓から差し込む春の陽射しだけが、狭い教会の中を照らしています。
 一つだけ目を引くものがあるとすれば、奥に備え付けられた大きな扉でしょう。人間が絡み合い、苦悩するかのような像が彫り込まれた門は、懺悔室へと繋がる扉です。
 そして。

「やぁようこそ。今日は、何の話をしにきたのかな」

 教会の主である探偵さんは、小さな体を祭壇に腰掛けて、わたしを歓迎するように両手を広げたのでした。
 探偵さん。
 神父さん。
 シスターさん。
 どう呼べばいいのか、わたしにはわかりません。彼女は、自分のことを色々な風に名乗るので、どう呼べばいいのかわたしは迷ってしまいます。自称探偵。懺悔室の主。神の僕。そういう風に、彼女は自分のことを名乗ります。
 着ている服は、学園の制服です。教室や寮で見かけたこともあります。だから彼女は、わたしたちと同じ、悪魔憑きの病にかかった、クラスメイトということになります。
 少しだけ迷って、わたしはいつものように、探偵さん、と呼びました。
 そう言えば。
 わたしは、彼女の名前すらも、知らないのです。
 きっと、知ることなく、わたしは彼女を探偵さんと呼び続けるのでしょう。彼女が自分から名乗らない限りは。

「それより先に、紅茶とお菓子をどうぞ。そこ、腰かけていいわよ」

 言って、探偵さんは祭壇に座ったまま、祭壇の下をごそごそと探ります。そこから出てきたのは、ポットとお菓子でした。
 不思議なものです。魔法みたいに、祭壇からは何でも出てくるのです。ティカップに注がれた紅茶は温かそうでした。
 わたしは薦めれた通りに、祭壇の脇に置かれた椅子に腰かけます。祭壇を机代わりにするのは、なんだか罪深いようですが、探偵さんが薦めてくるので断ることもできません。
 彼女は、お菓子を口に放り込みながら、どこか楽しげに言います。

「今日は何の話をする? 君が話してもいいし、私が話してもいいよ」
「あ、それでしたら、周子さんからお伝えして欲しいってお願いされたことがあるんです」
「香取周子から? 彼女が私に、なんて珍しいね」
「話したいことがあるならたまにはそっちが来い、だそうです」

 私の言葉に、くっくっく、と探偵さんは笑いました。
 とても楽しそうです。もしかしたら、探偵さんは、周子さんと仲が良いのかもしれません。わたしも笑って、笑いながら紅茶とお菓子に手をつけます。
 それらはとても美味しくて、英里紗さんが教会に通うのも、わかるような気がしました。わたしが教会に通う理由は違いますが、それでもついつい、紅茶とお菓子に手が伸びてしまうのです。
 何か、体の内側に染み込むような、そんな味です。
 わたしが紅茶とお菓子を楽しんでいると、探偵さんはひとしきり笑ってから、

「無茶を言ってくれるね。自分から動けないからこその安楽椅子探偵なのに」

 ちらりと、探偵さんは祭壇の脇を見やります。そこに置かれているのは、立派な車椅子です。
 そうです。探偵さんは、両足を動かすことができないのです。こうして祭壇に座っているあいだも、両手は大きく動かしていますが、足はぴくりとも動いていません。
 怪我なのか、病気なのか、わたしにはわかりません。
 探偵さんは、自分の症状を話そうとはしないからです。いったいどういう悪魔憑きなのか、わたしは知りません。わたしが入学するよりもずっと前からいる、ということは、周子さんから聞きました。
 何か、特別な存在なのかもしれません。
 現に、探偵さんは、わたしの身体を気遣うようなことをよく訊ねてくるのです。

「ところで、翼はどうかしら。今日も倒れたと聞いたけれど」
「ええ。ときどき、付け根が痛むくらいで、大丈夫です。春だからでしょうか? 倒れたのは、陽射しに当たりすぎたせいです」
「それは違うよ。生きるのにはエネルギーを使う。患部が大きかったり、症状が活発だったりすると消耗は大きい。背中見せて」

 その言葉を、わたしは拒めません。
 わたしが何かを拒むだなんて、そんなことは、許されていいことではないのです。それでも、恥ずかしさまでは隠せません。わたしはほんのりと頬を赤くしつつ、背中を探偵さんに向けます。
 彼女の小さな手は、遠慮なく翼留めのベルトを外しました。わたしの手作りの羽根カバーが、そっと
 空気が、翼を撫でました。
 その感触が、はっきりとわかります。翼は、まぎれもなくわたしの身体の一部なのです。
 天使のものとは、ほど遠い。
 醜くねじ曲がった翼。
 わたしは背中をさらしながら、ついつい俯いてしまいます。
 裸を見られてもはずかしくはないけれど、翼を見られるのは恥ずかしいのです。裸を見られてはいけない、ということは、学園に通うようになって教わったことなので、実感が足りないのもあるのかもしれません。
 でも、翼は駄目です。
 翼を見られることは、理屈ではなく、駄目なのです。いたたまれない。見ていられない。まじまじと見られるのに、耐えられない。逃げ出したくなるような衝動が、わたしの内側に湧いてきます。
 でも、耐えないといけないのです。
 これはわたしの罪なのですから。

「炎症は起こしてないわね。少し動かしてみて? 痛む? 痛まないなら幻肢痛かな。痛みが続くようなら、定期健診とは別に病棟に行った方がいいわよ」
「はい、そうします。痛みは、気にはならないんです。倒れるのは、少し困りますけど……」
「気にならないから余計に危ういのよ。悪魔憑きの患部は、認識世界の表出よ。『かくあれかし』ってね――歪んだ認識に沿う形で肉体が変貌する」

 探偵さんの手は無遠慮に、わたしの患部をまさぐります。お父さまの手つきとは違う、何の感情もこもっていない、機械的な触り方です。
 触れられているのが、翼ごしにはっきりとわかります。
 体がだんだんと熱くなってゆきます。陽射しはあたっていないのに、肌を汗が一滴流れました。喉が渇いて、わたしは俯いたままティカップに手を伸ばし、紅茶を空になるまで飲み干しました。

「わかる? 貴方の身体は、貴方が望んでこうなってるの。悪魔憑きとは、変質してしまった認識に沿う形で、自分自身の身体まで作り変えてしまう病なんだから」
「……そう、なんでしょうか?」
「そうだよ。だから、君の望みは叶っているの。
 世界は優しいというけれど、それは間違っているわ。
 だれも君を傷つけないのではない。
 だれも君を傷つけられないだけよ。
 世界のみんなが優しいのではなく。
 君が優しくないという、ただそれだけなの」

 探偵さんの言葉は、おかしいです。
 それでは、まるで。
 わたしが望んで――この醜い翼を手に入れたかのようで。
 そんなことが、あるはずがないのです。
 これは、罪の証。
 神様がわたしに与えたものなのです。
 醜くねじくれた、飛べない翼。
 まるで、悪魔のような。
 天使、だなんて、そんな呼ばれ方は、きっと嘘です。わたしはそんな清らかな存在ではありません。罪に塗れた、醜い人間でしかないのです。
 だからわたしは、今日も教会に通うのです。
 お祈りをするために。

「……お祈りを、してもいいでしょうか? このままでも、構いませんので……」
「んん? うん。もちろん。君のそれは、お祈りというよりは懺悔に近いけれど。罪を神様に告白し続ければ、いつかは許されるかもしれないわね」

 言いながらも、探偵さんはぺたぺたと私の翼を触っています。わたしは、できるだけ気にしないようにしながら、瞼を閉じます。
 祈りと懺悔。
 どちらにしても、同じことです。
 わたしは、許されることを祈りながら。
 許されるはずのない、罪深さを語るのですから。
 わたしの身体は罪の重みで、天国まで飛ぶことはできません。だから、せめて言葉だけでも、神様の元に届いて欲しいと祈りながら、私は罪を語るのでした。