4/悪魔憑きの吸血鬼


 ――生きることは、他人を喰いものにすることだ。

 それが、私が学んだこと。私の走るレールの意味だ。
 最初の記憶は牢獄めいた狭い世界。
 光のあたらない暗い地下室。
 そこだけが私の世界だった。
 薄暗い部屋の中で、私は起きあがることもできず横になっている。怪我はない。四肢はついている。ただどうしようもないほどに、身体を動かすための燃料が欠けているというだけ。やせ細った手足はほとんど骨みたいだった。
 飢えていた。
 飢えのあまりに眠ることさえできず、けれど身体を起こすこともできずに横になっている。起きあがったところで無駄だ。この狭く閉ざされた世界で私は完結している。ここには何もなく、外に出ることもできない。
 生きている。
 かろうじて、生きている。
 生きているとさえいえない状況で、それでも、生きている。生きているという、ただそれだけなのだとしても。
 だから。

 だから――私は、お前たちの餌ではない。

 目があうのだ。
 部屋の隅に小さな生き物と、どうしようもなく目があってしまう。鼠だ。赤い目がじっと私を見ている。私を食べていいものかどうか窺っているように。彼らは学んでいる。私が生きているうちに近づけば逆に襲われると。実際、うかつに近づいてきた鼠を、私は食べたことがある。
 だから彼らは、近寄ることなく待っているのだ。
 私が死ぬのを。
 私の亡骸を食べるために。
 私を喰い殺して、彼らは生き延びようとする。
 それはとても正しい。世界の摂理だ。サークルオブライフ。命は他の命の糧になる。私たちの生命は環になって繋がっている。それはとても正しいことだ。正しい世界の在り方だ。だから私がここで死ぬのも正しいことなのだろう。両親は自分たちが生きるために必死で、生きるために余分な私を地下室に放り込んでいる。もしかしたらいつか食べるつもりで保存食だとでも思っているのかもしれない。命は廻る。それは摂理だ。何かを食べなければ生きられないというのが罪深いことなのだとしたら、何かに食べられることで何かを生かす在り方はとても正しいと言える。自分から焚き火に飛び込んだ兎が正しいことは万人が認めるだろう。正しい。とても正しい。神様のように正しい。

  ――その正しさに、私は耐えられない。

 正しく在るくらいなら。
 罪深いほうが、はるかにましだった。
 正しく死ぬよりも、
 罪深く生きたかった。
 死んで食われるくらいなら、
 人でなしとして食ってやると、誓ったのだ。
 全身の血が脈動する。沸騰するように身体が熱い。血液はぎゅるぎゅると身体を流れる。循環した環。世界と繋がる環ではなく、自分単体で完結した環であろうとする。私の身体が変わってゆくことに彼らが気づくよりも早く、私は彼らを捕まえて捕食する。彼らの血を、肉を、命を消費して私は生きながらえる。いつかこの地下室が開いたときに、そいつを食い殺すために力を蓄える。
 そうして、私は生き延びる。
 ……ああ、でも。
 彼らの姿を、彼らの瞳を、私は忘れることができないのだ。
 あの赤い瞳はじっと無言で告げていた。
 どれだけ強くなろうと。
 どれだけ生き延びようと。
 私もまた、彼らと同じでしかないのだと――



     †


「――あ、」
 気づけば、夕方だった。
 夕焼け空の下に、私は独りきりで立っていた。
 教会の外は真っ赤に染まっている。背後の扉は固く閉ざされている。学生証を通せば入れるだろうけれど、そんな気にはなれなかった。
 私は呆けたように夕焼け空を見上げて、前にも後ろにも進めずにいた。
 ――あれ?
 首を傾げてしまう。午後に教会を訪れて、茶菓子を楽しんでいたはずなのに、いつのまに時間が過ぎてしまったのだろう。楽しい時間は早い、ということだろうか。
 早く寮に戻らないと、と思うけれど、足は動かない。
 私はただただ、夕焼け空を見上げている。
 記憶は穴あきで、靄がかかっている。
 けれど、気にしない。
 どうせいつものことだ。
 気にしても、意味はない。
 昨日何をしたかなんて覚えていない。
 昨日と今日の間には差異がない。
 学園は閉ざされていて、変化がない。何も変わらない。時間はまるで止まっているかのよう。誰かが消えうせても、何も変わりはしないのだから。
 同じような一日を、繰り返す。
 いつか終わる、その日まで。
 だから。
「帰ら、ないと……」
 それがわかっているのに私の足は動かない。夕焼け空に魅入られていているかのように。
 空しか見えない。
 学園の四方は高い塀に囲われていて、外を窺うことができない。学園内に背の高い建物はない。空をどんなに見上げても、そこに手が届くことはない。
 こんなにも空は綺麗なのに。
 世界は囲われていて、閉ざされていて、止まっている。
 それは、まるで。
 あの暗い地下室のようだった。
                                (吸血鬼編....了)